「怒ることがやめられなかったのに、怒れなくなったんです」
昨日、クライアントからこんな報告をいただきました。
今まで、もう何年も、指導したことができていない部下に理詰めで怒りをぶちまけたり、足を引っ張るスタッフに対する怒りが止みませんでした。
ストレスが溜まり、怒ることに疲れ、身体にも不調が出て、それでも怒ることがやめられませんでした。
怒ることと向き合い、怒ることで自分の正統性や優位性を高めようとしていることに気づきました。それでも怒ることを選択していました。
アンガーマネジメントも、アドラー心理学も知っているのに、「今の自分はこれでいいんだ」と、怒ることを続けていました。
そんなクライアントが、「怒れなくなった」と言うのです。
なにがきっかけかと言うと、、、
前回のセッションの時に、デカルトの『われ思う、ゆえにわれ在り』という言葉に高校生の頃に出逢い、衝撃を受けて、ずっとその言葉を大切にしてきたというお話しをされていたのです。
それに対して私が、「われ思う」というのは、自分の思考の中に入っている状態で、「われ在り」は、思考している自分に気づいている『意識』だよねと伝えたんです。思考を自分と同一視してるけど、それは自分じゃないよねと。
クライアントはそれを聞いて、かなりショックを受けたそうなのです。今までずっと大切に、座右の銘にして生きてきたのに、それは自分じゃなかった!!
自分のアイデンティティ、今まで自分だと思い込んでいた自分が、自分じゃなかったんだ!!それは、エゴを強化していただけだったんだと。
そして、『自分とは?』をたくさん定義してきたのに、いっぱい作ってきたのに、結局は「自分なんてなかったんだ」ということにも気がついたそうなのです。
今まで自分を強化するために、たくさん自分と同一視できるものを集めて来たんですね。思考、仕事、背景、お金、レッテルなどなど。それは自分(エゴ)を強化するものでした。それを集めないと、自分が保てなかったからでしょう。
今まで 自分だと思って しがみついてきたものが、崩れてしまいました。
そんな大きな気づきが起きたら、自分を責める気持ちも、相手を責める気持ちも消えてなくなって、今まであんなに怒っていたのに、怒れなくなってしまったそうなのです。もう、怒りが湧いてこないのです。
そうしたら、自然と反射的な反応から距離を置けて、穏やかな時間が増えたとのことでした。
この「自分(エゴ)なんてなかったんだ」に、感覚的に気づくことが重要です。これがまさに、目覚めて生きていく、覚醒の意識の状態です。
ここに気づくと、不安、悩み、苦しみと、距離がとれて、薄まってくるので、トラブルや人間関係の不和に巻き込まれることが少なくなってきます。状況的にもうまくいくことが多くなるし、心の中が平和になります。
一人でも多くの方に、この感覚に気づいていただきたいというのが、私の願いです。そのほうが、私も周りも、世の中も、しあわせな人が増えると思うからです。
この感覚を体感していただくセミナーを開催します。この感覚を味わってみていただきたいです!
この記事へのコメントはありません。