詳しく質問に答えて、見積りを出して、アポまで入れたのにキャンセルになった。アポを入れたのにドタキャンを繰り返された。
こんなことが立て続けに起きたと、クライアントが話してくれました。
繰り返されると、労力も時間も気持ちもすり減ってしまいますよね。
クライアントが、「やっぱりなって感じ」とおっしゃったので、「やっぱりって思ったということは、初見でなにかを感じたってことですよね!?」と突っ込んでみました。
繰り返されるということは、自分もその原因の一端を担っています。再発防止のためにも深めていきました。
「やっぱりな」と感じたお客様の共通点は、グイグイ来る。クレクレ。自分のペースが乱れて、相手のペースに飲まれてしまうことに気づきました。なんだか自分の大切なスペースを荒らされるような恐怖心が湧いて、「知らない人に来て欲しくない」という言葉が出ました。
もし相手がグイグイ来ても、「ちょっと待って」と、自分のペースを保つことはできますよねと、再確認しました。
しかし、潜在的に「知らない人に来て欲しくない」と思っていたら、無意識にご新規様を拒絶する言動をするようになります。
本当は、「お金を払わないのに、情報だけ聞くのはタダじゃないんだよ!」と思っているのに、なぜそうなってしまうのでしょう。相手が困っているんだろうなと思うと、ついつい与えてしまうそうなのです。
グイグイ、クレクレで来る人って、欲している人ですよね。愛を欲している。とお伝えしたら、「欲しいのはこっちだよ」という言葉が出ました。そう思うのであれば、キチンと請求していいんですよ。
「ちょうだい」
この言葉を口にした時に、クライアントに反応が見えました。
「あぁ、ちょうだいって 言えなかった。言っちゃいけないと思ってた。幼い頃に欲しがるのは はしたないことだ と教えられたから。」と気づきました。親に褒められたくて、認められたくて、親の言いつけを守っていたのですね。自分をすり減らせてまでも。
「自分は幼い頃に足りなかった愛を、埋めようとしているのかもしれない」と言葉にされました。
本当に愛は足りないのでしょうか?どれだけあったら、満たされるのでしょうか?この意識でいると、どれだけあっても足りないと感じ、もっともっとの底無し沼です。
愛の量にフォーカスして、相手からの愛の量を量ったり、兄弟や誰かと比較しているから、足りないと感じるのです。
「そこに愛がある」、その事実をありのまま認めたら、もうすでに満たされています。「すでに愛はある」のです。
ビジネスシーンでは、愛はお金に投影されます。
「愛(お金)がない」と思っている人ほど、固執・執着しています。その執着を手放せば、循環し始めます。
人から貰おうとばかりするのではなく、人に与える喜びを感じられるようになります。
『托鉢』と同じ原理原則ですね。お釈迦様は貧しい人々の家を回るように言いました。貧しいから施しができないのではなく、施しをしてこなかったから貧しいのです。
自分には「愛がある」と腑に落ちたら、与える喜びが更に感じられるでしょう。そして同様に受け取る喜びも更に感じられるようになるでしょう。
自分には「愛が(お金が)ある」のです。
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